2009年01月17日

賢者は歴史に学び、未来を知る

 「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」という格言がある。実際、欧米の政治家や知識階層は、歴史に学ぶということが多い。辞任したアメリカの国防長官、ラムズフェルドは、イラク戦争に勝った後、世界史をひも解いて、ローマ帝国がいかに他の地域を占領した後に恒久的な支配を達成し、「パックス・ロマーナ」を樹立したかを研究した。ローマ帝国と今の“アメリカ帝国”を比較しつつ、歴史に学んだわけである。

 また、1960年代のキューバ危機のころ、アメリカ大統領はケネディであった。そのとき、ケネディは、第二次大戦前のイギリスの事例に学んでいる。

 62年、共産圏との接近を図るカストロ政権は、兵器の提供の代りに核ミサイルをキューバ国内に配備するというソ連の「アナディル作戦」を受け入れた。そのため、ソ連製核ミサイルがキューバに搬入され、配備されつつあった。そのとき、アメリカ本土を射程距離に収める中距離弾道ミサイルの存在を、アメリカの偵察機が発見する。これにいち早く反応したケネディ政権は、海上封鎖によりソ連からのさらなる核持ち込みを阻止、その後、ソ連との全面戦争をも辞さずの構えで核弾頭搭載の弾道弾発射態勢に入った。かくて、ソ連にこの作戦を放棄させることに成功する。

 全面核戦争の危機を前に、“チキン・レース”を展開し、ぎりぎりの外交を展開したわけである。あのままソ連の核持ち込みを容認していれば、アメリカは喉元にナイフを突きつけられた形で、その後の発言力を弱め、地政学的な意味の敗北を招いていたろう。
 第二次大戦前の1936年、ヒトラー政権下のドイツはラインラントに進駐し、チェコスロバキア、オーストリアを次々と併合する。時のイギリス首相、チェンバレンはドイツとの抗戦をあくまで回避する姿勢に終始し、「チェンバレン外交」と後に呼ばれる平和外交を一貫して行なった。その結果、反対にドイツを増長させ、後の大戦を招いたと評されている。

 あの時、イギリスがドイツとの抗戦も辞さずとの強硬姿勢で外交に臨み、ドイツの侵攻を早期に阻止していたなら、そうした事態を回避できたであろうとは後に論じられるところであるが、後世のキューバ危機の際、ケネディはこの歴史に学んだわけである。
タグ:歴史
posted by ネモ提督 at 09:52| Comment(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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