綱吉→吉宗→意次→定信の順番である。評価の高低が続いている。
徳川吉宗や松平定信は享保の改革や寛政の改革を実施し、質素倹約を図り、緊縮財政を図った。他方綱吉は生類哀れみの令などを実施し、評価が低いが、由井正雪の乱以降、武による解決を諌めるために実施した条例であり、犬だけの為ではないことは言うまでも無い。この当時は元禄文化、江戸時代の発展時期の一つである。また田沼意次時代は賄賂で有名だが、イメージの悪さはあとの松平定信によって付けられたイメージである。定信も賄賂は受けていた。
江戸時代の封建制度の破壊の中で、田沼意次は重商主義を掲げ、株仲間などを作り商工業を発展させ、財政も改善し、景気回復を狙ったが、格差が拡大した。
これに反発したのが松平定信&一ツ橋派(二世政治家)であり、天明の大飢饉をきっかけに田沼を失脚させた。
定信は重農主義を掲げて、重商主義反対制度を実施し、封建制度の復活を図ろうとしたのである。当初は格差がついており、民衆の恨みは田沼に行き、定信は人気が高かった。
当初は『田や沼やよごれた御世を改めて 清くぞすめる白河の水 』と評価されていた。
彼の政策は白河藩の藩政改革では成功した。財政緊縮改革を行なうとともに重農主義で農業生産量拡大が実現した。しかしミクロの政策がマクロで有効であるとは限らない。日本全体で緊縮財政は経済の縮小を招き、農業生産を奨励しても、それも市場縮小でデフレ状態、経済も財政も改善しなかったのである。
また松平定信は猜疑心が強く、常に監視を強化しており、家臣や多くでも嫌われていた。
次第に巷では
『白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき 』と唄われ、失脚した。
今の日本は、享保の改革や寛政の改革の時代にになるのであろうか?また田沼や綱吉の時代を実現するのであろうか?改革というと日本人は、直ぐに緊縮財政をイメージするのは、昔からのDNAのようだ。見本は上杉鷹山だ。でもミクロとマクロは違うのである。
どうも今の政治は松平定信という二世政治家の改革を推進しているようでならない。
贅沢は敵ではない。贅沢は素敵だ!という有効需要の創造を民間に依存するような政策こそ発展することを決して忘れてはいけない。
来たれ!21世紀の悪代官 田沼意次。
皆さんはどちら派ですか?
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